自分を捨てる
2009年 10月 08日
さて、またもやダンスネタです。
先日行われた通し稽古は、発表会の流れや雰囲気をつかむことは出来たけど、
私自身の結果は、一言で言うと、「悲惨」 もっと言うなら「無残」
さらに言うなら「ちゃんと練習してこいよ!!」
言い訳させてもらえるなら、元々無謀なチャレンジゆえ、仕方ないでしょ。
それに普段絶対間違わないような人も、この日は緊張のせいか、やっちゃってたし。
出番が終わってから、先生にそうとうダメ出しされた。
「次回はちゃんとやろう!」と気合入れられた。
おとといのレッスンの日。振りはほぼ間違いなく踊れたので、安心していたら
先生から指摘が。
「この短い間によく覚えたよね。二曲とも振りはいいんだけど…」
「は、はい」
「あのね、スローな曲の方はあなたに合っててしっくりいくのよね。だけど、
アップテンポの曲はね、もっとノリノリで、踊らないとね、あなた一人地味~なのよ」
「へっ?」 「あなたの両側の二人、みてごらんなさい。キャピキャピしてるでしょ。
あれくらい踊らないと。」
その二人とは、私よりはるか年上だけど、普段から元気いっぱい、やる気いっぱいの
ミセスの方。この二人の間で踊るのだから、相当はりきって踊らないと、
目立たないというのだ。
自分では一生懸命踊ってるつもりだ。なのに先生は…
「あのね、あなたの場合、自分を捨てないと。キャピキャピとか、元気いっぱいとかは
あなたのイメージからは程遠いけど、そういう自分を捨てるのよ。
遠慮なんかしてはダメ。あなた普段から遠慮深いから。それが踊りに出るのよ。」
「へっ?」
私が遠慮深いだと?いや、先生に向かって、「だと?」はないな。
しかし、驚いた。人にはそういう風に写るんだ。
そうか。私は遠慮深いのか。それにキャピキャピとはいかないまでも元気だと思ってた。
そうじゃないのか。ほんとに?
もし、そうならそういう自分をどうやって捨てる?
「恥ずかしいとか、そういう気持ちを捨てて、こ~うい~う感じで、手も足もおおげさに
こ~れくら~い、動かして踊ってみて。」
先生が実演つきで踊ってみせてくれた。
先生が踊ると、ちっとも大げさに見えないんだけど、自分がやると、どうにもしっくりこない。
恥ずかしい気持ちとはちょっと違う。違う自分を演じてるみたいな。
ノリノリの元気いっぱいの曲も好きだけど、どちらかというと、やわらかい動きの方が
好きなのは好きだ。ちょっと色っぽいというか、大人っぽいというか。
そういう曲をもっともっとうまく踊れるようになりたいと思う。
しかし、今の自分に課せられたことは、自分を捨てるということだからして、
いかにしてキャピキャピの自分を表現するかだ。
家に帰って、お風呂に入りながら、二人のミセスを思い浮かべてみた。
まず、元気だ。そして歳を気にしない。積極的だ。常に前向きだ。楽しそうだ。
人からどう見られるか、なんてことは関係ないみたいだ。今度の衣装だってドハデにアレンジ
してる。そういうことを頭で整理しながら、お風呂からあがって、鏡の前で踊ってみた。
自分がしっくりくる動きじゃなく、先生のように、二人のミセスのように元気いっぱいに。
自分を捨てるということが、そうとう難しいということがわかった。
今まで踊ってた自分は何だったのか?自分のこだわりはどこに行ったのか?
しかし、そんなものは実際、己の自己満足に過ぎず、自分の世界を広げるためには
一旦自分を無にして、なんにでもトライしなくては。こだわりを持つのはもっと後だ。
というような大げさなことを考えながら、毎日自主練に励んでいる。
少しずつ、キャピキャピのコツを覚えてきた。まずは自分を捨てて無になること。
油断するとすぐ自分に戻ってしまうから、
(ほらほら、またしょうもない自分にもどってるぞ!)と気合入れながら。
先日行われた通し稽古は、発表会の流れや雰囲気をつかむことは出来たけど、
私自身の結果は、一言で言うと、「悲惨」 もっと言うなら「無残」
さらに言うなら「ちゃんと練習してこいよ!!」
言い訳させてもらえるなら、元々無謀なチャレンジゆえ、仕方ないでしょ。
それに普段絶対間違わないような人も、この日は緊張のせいか、やっちゃってたし。
出番が終わってから、先生にそうとうダメ出しされた。
「次回はちゃんとやろう!」と気合入れられた。
おとといのレッスンの日。振りはほぼ間違いなく踊れたので、安心していたら
先生から指摘が。
「この短い間によく覚えたよね。二曲とも振りはいいんだけど…」
「は、はい」
「あのね、スローな曲の方はあなたに合っててしっくりいくのよね。だけど、
アップテンポの曲はね、もっとノリノリで、踊らないとね、あなた一人地味~なのよ」
「へっ?」 「あなたの両側の二人、みてごらんなさい。キャピキャピしてるでしょ。
あれくらい踊らないと。」
その二人とは、私よりはるか年上だけど、普段から元気いっぱい、やる気いっぱいの
ミセスの方。この二人の間で踊るのだから、相当はりきって踊らないと、
目立たないというのだ。
自分では一生懸命踊ってるつもりだ。なのに先生は…
「あのね、あなたの場合、自分を捨てないと。キャピキャピとか、元気いっぱいとかは
あなたのイメージからは程遠いけど、そういう自分を捨てるのよ。
遠慮なんかしてはダメ。あなた普段から遠慮深いから。それが踊りに出るのよ。」
「へっ?」
私が遠慮深いだと?いや、先生に向かって、「だと?」はないな。
しかし、驚いた。人にはそういう風に写るんだ。
そうか。私は遠慮深いのか。それにキャピキャピとはいかないまでも元気だと思ってた。
そうじゃないのか。ほんとに?
もし、そうならそういう自分をどうやって捨てる?
「恥ずかしいとか、そういう気持ちを捨てて、こ~うい~う感じで、手も足もおおげさに
こ~れくら~い、動かして踊ってみて。」
先生が実演つきで踊ってみせてくれた。
先生が踊ると、ちっとも大げさに見えないんだけど、自分がやると、どうにもしっくりこない。
恥ずかしい気持ちとはちょっと違う。違う自分を演じてるみたいな。
ノリノリの元気いっぱいの曲も好きだけど、どちらかというと、やわらかい動きの方が
好きなのは好きだ。ちょっと色っぽいというか、大人っぽいというか。
そういう曲をもっともっとうまく踊れるようになりたいと思う。
しかし、今の自分に課せられたことは、自分を捨てるということだからして、
いかにしてキャピキャピの自分を表現するかだ。
家に帰って、お風呂に入りながら、二人のミセスを思い浮かべてみた。
まず、元気だ。そして歳を気にしない。積極的だ。常に前向きだ。楽しそうだ。
人からどう見られるか、なんてことは関係ないみたいだ。今度の衣装だってドハデにアレンジ
してる。そういうことを頭で整理しながら、お風呂からあがって、鏡の前で踊ってみた。
自分がしっくりくる動きじゃなく、先生のように、二人のミセスのように元気いっぱいに。
自分を捨てるということが、そうとう難しいということがわかった。
今まで踊ってた自分は何だったのか?自分のこだわりはどこに行ったのか?
しかし、そんなものは実際、己の自己満足に過ぎず、自分の世界を広げるためには
一旦自分を無にして、なんにでもトライしなくては。こだわりを持つのはもっと後だ。
というような大げさなことを考えながら、毎日自主練に励んでいる。
少しずつ、キャピキャピのコツを覚えてきた。まずは自分を捨てて無になること。
油断するとすぐ自分に戻ってしまうから、
(ほらほら、またしょうもない自分にもどってるぞ!)と気合入れながら。
by morinotomosibi07 | 2009-10-08 12:08 | 自分のこと