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ケイさんの青春

野球づけの日々から解放され、その後は受験勉強に明け暮れた

長男ケイさんが、闘いを終えて、帰ってきた。

「ハンパねえし。」との言葉どおり、希望の大学にはおよばなかったけれど、

まあ、自分にあった学校を選ぶことに。

父親ゆずりの詰めの甘さと、母親ゆずりの立ち直りの早さに

あきれるけれど、そのすがすがしい顔も穏やかな口調も

初めて見るケイさんのようでドキッとした。

思えば、女ばかりのきょうだいの中でのひとりの男子として

まわりの期待とプレシッャーは、きっときつかったのかな。

これからは、思う存分自分のしたいことをしてください。

と見上げるように顔をながめていたら、

さっそく、「ちょっとスタジオ行ってくる」と、ギター抱え出かける模様。

「ロック解禁ですね」と言うと、 「ガンガン弾いてくる。そうそう。

おれの誕生日ってフレディ・マーキュリーといっしょって知ってた?」

知るかい!!

もしかして、ずっとやりたかったことってそれですか?

ミーハーな私は「エッエッ。ライブとかするん?」とまたもや期待したけれど

「いやその予定はない」

「日曜日はお墓参りに行くから、予定空けといてね」って言うと

さわやかに「はいよー」っと言って、出かけていった。

ケイさんの青春はこれから。
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by morinotomosibi07 | 2008-02-27 14:59 | 長男ケイさんのこと  

筋肉の話VOL.2

食べるのをグッとガマンし続けて、なんと20キロ近くも

やせてしまった女の子。「これおいしいよ。食べよ」って言っても

うらめしそうに首を縦にふるばかり。

ダメ、ダメ。そんな悲惨なダイエットは。

食べずに体重が落ちるってことは、脂肪と同じくらい筋肉も

落ちてるってこと。そして、「この人はちゃんと食べないぞ」

って脳が思ってしまったら、身体はなるべくエネルギーを消費しないように

警戒して、基礎代謝が低くなる。すると、あるときから体重が落ちなくなる。

やせにくい身体になってしまう。食べるのをガマンするのが限界にきて

食べ始めたら、今度は脂肪が先にもどる。てことは、前より筋肉が減って、

脂肪が増えただけのこと。これがリバウンドってやつです。

だから、運動して、バランスのいい食事をとって、ふとりにくい身体を

つくろうね、っていっしょにストレッチやら筋トレやってます。

そして、お菓子もちょこっとだけ、いっしょに食べてます。

「いやなことがいーっぱいあった後にすごいいいことがあるのと

いやなことといいことが少しづつ交代にあるのと、どっちがいい?」

って、その子に聞いたら、「すごいいやなことがあったほうが、いいことが

あったときにうれしいかな」って、まだあどけない顔で言った。

私は、ガマンが足りないから、少しづつがいいかなって思った。

そんな二人で、夏までに理想の体型と健康な身体になろうね、って約束した。

昨日は昼間いっしょにストレッチして、「夜もがんばろうね」、って

約束したのに、私は「エンタの神様」みてたら、睡魔がおそってきて

眠ってしまった。彼女はきっちりやったらしくて、私はやっぱり

ガマンが足りないなあって思いました。

今日はがんばろう。
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by morinotomosibi07 | 2008-02-24 14:38 | 友達のこと  

筋肉大事


かつてないところに、一歩足を踏み入れてしまいました。

体験したことのないゾーンだけど、そう悪くはないか。

引き返すのは結構大変そうだし。

記録更新ってことで、ある意味すごいじゃないか。


なんて、言い訳かへ理屈。

そうです。体重です。

ぼちぼちきてるとは思いつつ、おそるおそる測ってみたら、

8キロ増です。やばいことになってるぞ、と思いはじめてからはや十数年。

そのあたりをいったりきたりしながらの、ここにきての8キロ増なので

いったいあの頃から何キロ増?(ブルッ!軽く身震いしました)

小さい頃はやせぎすで、それはそれで情けない身体だったのですが

元来の運動嫌いのせいか、年頃になると体重のわりにブヨブヨの身体。

お産を繰り返すうちに、いろんなところの締まりも悪くなって、もう最悪。

何年か前、腰痛の治療で行った整体の先生に「何?この身体。筋肉

全然ないし。これじゃ腰いためるわな。」と言われ、

一念発起して、エアロやストレッチに通いました。

「せめて体脂肪率は20%台にしましょうね」と「ユニーク・ダンス・スタジオ」の

洋子先生の輝くばかりの笑顔に励まされ、身体を動かすことや

健康な身体を取り戻すことの大切さを学びました。

調子に乗って、ヒップ・ホップも習い始めてちゃっかり発表会にも

出たりなんかして。

別府アリーナの中のジムにも通ったなあ。ヒートデビルズの

選手もよく利用していて、その筋肉をウットリ眺めました。

忙しくなって、教室にも通えなくなって、もとのもくあみ。

てなわけで、あの頃習ったストレッチやダンベル体操思い出しながら

仕事の休憩時間や夜寝る前に三女とともに、やっとります。(フー)

音楽かけながらやると、つらいストレッチや腹筋も笑顔でルンルン。

意外とガンガンのロックが気合いも入って、よろしいです。

ただただスリムな身体ではなく、適度な筋肉と脂肪のついた健康な

身体をとりもどそうではありませんか。

それから、はじめて「岩盤浴」なるものにも行きました。(扇山公民館の前)

いやあ、長年の偏頭痛や肩こりがスッキリ。はたまた、昨日テレビでやってた

造顔マッサージとやらもやってみようじゃないかと。

だんなに「おまえ、守備範囲広いなあ」と言われました。

はっきり言いましょう。50はもう目の前。ここらで軌道修正しないと

マジでやばい。たるみっぱなしの精神も身体も鍛えなおさないとなあ。


と、公言した方が続くかも、と思って、つらつら書いてみました。
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by morinotomosibi07 | 2008-02-23 13:41 | 自分のこと  

自分の居場所

鼻が上向いてる。虫歯だらけ。目も悪い。勉強も嫌い。

裁縫も苦手。体育もまっぴら。やせっぽち。

色は黒い。人見知り。がさつ。泣き虫。

そうやって自分の嫌いなところを指折り数えては、うつむいているだけだった

子供のころ。

そんな泣き言を言ってみても一切通用しなかった私の母には

そこへまた塩を塗りこむように「そうねえ。いいとこないねえ。」と言われ、

父はといえば、そんな暗い暗い私をやれ、遊園地だ、海だ、と休みのたびに

ひっぱりだしては遊んでくれた。自分が嫌いで嫌いで、それじゃ後は死ぬしか

ないなって思ってしまう自分が怖かったから、ちっぽけなプライドだけを頼りに

生きてきた。そして、「おまえがいてくれてよかったよ」っていつも言ってくれた

祖母のそばがいごごちがよかった。

一番安心できて、だれかに望まれて、自分も望んで、笑顔に包まれる

ぬくぬくした場所が、それが自分の居場所だって思ってた。

ありのままの自分で、言いたいことが言えて、みんなが笑ってくれて

そんな場所はないものかと、

ここかな?ここかな?って思いながら、自分の居場所を探して

今から思えば、その時その時一生懸命生きてきたような気がする。

遠い昔、はじめて赤ちゃん産んだ時の生涯で一番幸せだったとき。

一人だけと決めていたのに、次々と子供が生まれ、必死で育てたとき。

家族みんなで力をあわせていろんなことを乗り越えた日々。

こんな私が「おかあさんですよー」って偉そうに、でんと座ってきた自分の居場所。

いつも笑い声に包まれていた暖かい居場所。


私が今いる場所には傷を負ったたくさんの子供たちとその子供たちを

一生懸命育てていこうと日々悩み苦しみながら生きている大人たちがいて、

けっしてここは、安全でぬくぬくした場所でなはいけれど、

ここが私の居場所なんだって、最近そう気付いた。

誰からもいてほしいと望まれてなくても、自分もいたいと望んでなくても

ありのままでは通用しなくて、言いたい事も言えなくても、

苦しくて、きつくて、逃げだしそうになっても、今ここで

がんばりなさい、ここがあなたのいるべき場所なんだって

誰の声かわからないけど、聞こえてくる。

なんのとりえもない私でも、なにか人の役にたつことが

できるはず、なにか伝えることができるはず、小さな力になれるはず、人が人と

して生きるってことはそういうことなんだろうと

そうやって生きることができる場所が自分の居場所なんだって

いつもながら恥ずかしいことに、この年になって

気付いた哀れな私です。そんな私を「おまえよく気付いたね」って、天国から

祖母は褒めてくれるかな。

苦しくても今はここが私の居場所。「よくがんばったね、ありがとう」

と言われるまで、精一杯がんばって、それからまた次の居場所を探そう。


そうして最後の最後は、おばあちゃんのいる所へ行ければいいな。
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by morinotomosibi07 | 2008-02-22 11:56 | 自分のこと  

ぴ・あ・の

「おじちゃん。柿好きかなあ~」

そう言って小麦色の肌の元気いっぱいの女の子が自転車に乗って

わが家に柿を持ってきてくれたのは、今からもう十数年前のこと。

「おじちゃん、柿大好きなんよ。ありがとね」と言うと、

「よかった~」と言って、また自転車に乗って帰っていった。

笑顔を見てるだけで、いつもなぜか心がなごみ、

あったかい気持ちにさせてくれたその小さな女の子が

今年23歳になるんだろうか。今では才能あふれるピアニストに

なって、世界にはばたこうとしています。

小さい頃から飾らず、気負わず、人に流されず、自分のペースで進む彼女を

まわりはとても心配したけれど、自分の感性を貫いて、魅力的な女性に

成長しました。明日大分のオアシスNHKホールにて、14時より

彼女を含めた4名のピアニストによるコンサートが開催されます。(入場料500円)

ぜひぜひこの機会に素晴らしい演奏をお聞きになってください。


今日もレッスン中の彼女を訪ねたら、あの頃と同じ笑顔で

「いらっしゃあーい」と出迎えてくれました。
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by morinotomosibi07 | 2008-02-16 15:08 | 友達のこと  

バレンタインに寄せて恋の話をおひとつ

音楽にはうるさい主人が「この曲いいね~」と言ったのは

青山テルマの歌う「そばにいるね」  大ヒット中とか。

さっそくCD買って、帰り着くまで車の中で聞いた。

何回か聞くうちに、切ないラブストーリーの映画のエンドロールとともに

流れる主題歌のように心に沁みて、泣きそうになった。

その映画の主人公は助っ人サリーとその彼。

いろんな事に傷付いて暗い穴の中でうずくまっていたサリーに

彼が手を差し伸べて始まった恋は、最初は初々しくてキラキラと

輝いて眩しかった。でも不器用で真面目で臆病な二人にとって、その恋は

だんだん痛々しく、頼りなく、苦しいものになっていった。

先に彼の方が逃げ出したけれど、「私はずっと待ってるよ」と

最後まであきらめなかったサリーの深い深い想いが通じて、

またいっしょに歩き出すまでのラブストーリー。

私が感動したのは、最後ハッピーエンドになったことではなくて、

それまで心を閉ざして人を信じようとしなかったサリーが

苦しいことから逃げていたサリーが、悩んで苦しんでもがいた末に、

今までのように愛されることだけを求めるのではなく、

相手の苦しみや弱さを自分が理解し、支えてあげようと努力したこと。

どんな時も彼のことを信じて待ち続けたこと。

そうやって少しづつ成長して、本物の恋を手にいれたこと。

そして、二人で歩いていくこれからもいろんな困難があるだろうけど、

ちゃんと自分で乗り越えながら歩いていけると思えるようになったこと。

そんなサリーの姿に、私は心から感動しました。

そして、私もこの歳になって、映画を見てるような若い二人の恋愛から

たくさんのことを学ばせてもらいました。

いつかこのストーリーが映画になるといいな、絶対いい映画になるなと

思います。

と、バレンタインに寄せて昨日は主人と二人して、夜、チョコを食べながら

おしゃべりしていたら、

なんと、そのサリーから、「遅ればせながら銀婚式のお祝いとバレンタインに」と

かわいいお花が届きました。

その優しさにやっぱりまた二人で泣きそうになりました。
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by morinotomosibi07 | 2008-02-15 11:59 | 友達のこと  

じつは昨日は…

大きな湖のほとりの古いホテルで、ささやかだけど手作りの

パーティーのような結婚式をあげて、昨日ではや25年。

銀婚式とやらを迎えました。

娘たちは「なんかせんの~?」とか言ってたけど

お金もひまもないし、おまけに私はまた体調をくずしており、

結局次女と三女がガトーショコラを焼いてくれたのをみんなで

食べながら昔話。ダンナが「まあ色々大変やったけどおまえたち

産んでよかったよ」と言うと、物事を深く考えるのが苦手な三女が

「えっ、お父さんが産んだん?」

「バカ!おれは種をまいたんや。これが結構たいへんでなあ。

どういうふうに大変かと言うとやなあ…」

だれか、このエロおやじを止めてくれ~

これがあの今でいうところのイケメンの25年後のなれのはてか。

次女は「今夜はゆっくり25年を振り返ってくださいね~」と

ウキウキしながら飲み会に出かけ、小学生は寝る準備をし、

受験を控えた三女は、実態を伴わないように思えなくもない様子の

わりに、やたら「受験生は大変や。勉強、勉強」と騒がしい。

久しぶりにダンナとリビングでくつろいでいたら、やっと長男の帰宅。

その長男曰く、牛乳好きの自分にとって牛の体調はすぐさま自分の

テンションに影響するらしい。毎年牛乳の脂肪分が高くなるのが

11月から12月らしく、自分もそのあたりが一番調子がいい。

よってこの頃の自分のテンションの低さは牛の体調がいまひとつ悪いから

だ、というのだが、いかに。

私には、センターが終わりちょっと気持ちがゆるんでいるとしか思えないの

だが、いかに。ダンナは私にむかって

「おい、明日みどり牛乳に電話して、牛にがんばるように言っとけよ」

いやいや、長男に気合入れた方がいいんやないかい。

銀婚式だというのに、もうちっとましな話題はないのか。

マラソンでいえば、ちょうど25年は折り返し地点か。

ここまでを振り返ると、一緒に走ってきたつもりが、ダンナは

いつのまにか私のコーチになり、「オレのように走れ」と

沿道で指示しながら走ってて、私はその期待に応えようと必死で走ってた。

それが折り返し地点のちょっと手前で、いっしょに走るってそんなんじゃない

って気付いて、立ち止まった。

試行錯誤のうえに、たどりついた結論は、とても簡単なこと。

相手の苦しみを考えてあげること。人がミスをするとすぐカーッとなって

追求するダンナ。私はそれがいやでたまらない。でも、それはダンナが

責任感が強くて、全部自分がその責任を取ろうとするから。でも、

ほんとのほんとはその責任から逃れたくて仕方がない。いつもその

ギャップに苦しんでいるのが本当の姿だと思うと、すぐカーッとなって

わめくことも許してあげられるし、自分も一緒に責任がとれる人間に

成長すればいいと自分自身の問題にも目がむけられる。

私は大雑把な性格で年がら年中ミスだらけ。そして能天気なので

あまり落ち込まない。っていうか、すぐそれがどうした!と開き直る。

ダンナはこれがいやでたまらないらしい。でも、この人はこの人なりに

不器用だけど一生懸命やっている。細かいことが苦手なら

自分が代わってすればいい。相手に期待しない。

あんまり細かく考えなくてもどうにかなるんだ、

失敗したらその時一緒に考えればいいと思えるようになってきた。

すると今までカーッとなってたことも笑って見過ごせるようになった

と言います。

25年かかって、ようやくこういう境地にたった私達ですが

これならこの折り返し地点からもう一回一緒に走っていけるね、と

これからもよろしくお願いします、と真面目な話もしながら、

昨日は眠りにつきました。
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by morinotomosibi07 | 2008-02-01 13:13 | ダンナのこと