「ほっ」と。キャンペーン

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元の場所へ

片付けても片付けても、すぐ散らかり、拭いても拭いてもまた降り積もるホコリのように

整理したつもりがまたゴチャゴチャと湧き出してくるさまざまな想い。

伯母のお葬式に向かう船の中。17、8くらいの女の子とおばあちゃん。二人旅なんだろうか。

仲良く寄り添う二人。それがうらやましくて仕方ない。私には二度と訪れないそんな二人だけの

時間。本に目を落としながらも二人の会話に耳を澄ますのだけれど、小さな声で聞き取れ

ない。でも時々、「おばあちゃん寒くない?」とか「〇〇ちゃん眠れんのかい?」という声が

聞こえてくる。胸の奥深くで何かがゴワっと起き上がってきたような感じがして、苦しくなる。

必死で飲み込んだけど、ドキドキが収まらない。一言つぶやいたら、ガラガラと崩れてしまい

そうで必死で我慢した。(おばあちゃん…) 「おまえとは以心伝心やなあ」と言ってくれた

おばあちゃん。離れていても心はいつも寄り添いあっていたとお互い思っていた。

いつごろからか、私は自分のことに精一杯で電話の回数が減り、会うこともなくなった。

それはいつだって自分のことで精一杯な私の言い訳で、依存する相手が少しずつ

おばあちゃんから、子供達やダンナへと変わっただけ。それもおばあちゃんは、わかって

いてくれた。きちんとサヨナラが言えないまま、逝ってしまったおばあちゃんに、今更

かける言葉もなくて、いまだに小さい子供のように、心の中で泣き叫ぶ。

もらった愛情のひとかけらも返せないまま、呆然と立ち尽くす。もう少し生きていてくれたら

と自分勝手なそれも言い訳。「あんなに愛してくれたおばあちゃんだから、最後さみしがって

はいたけど、アンタのことは恨んでないよ」と母やいろんな人が言ってくれる言葉を

おばあちゃんの言葉だと信じて、薄情な自分を慰める。

謝らなきゃ、謝らなきゃ。ごめんね。ごめんね。

散らかった物を元の場所に戻すように、結局そこに心を戻す。ごめんね。おばあちゃん。

毎日毎日、散らかしてはそこに戻す。
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by morinotomosibi07 | 2008-10-30 14:16 | 自分のこと  

学園祭

次女エリさんの学園祭に出かけた週末。山の上は寒かった。

そこでは人や物との感動的な出会いがあって、寒さに震えながら我慢した甲斐が

あった。まずは、おなかが空いてとりあえず屋台に向かって食べたのは、ボルシチと

ピロシキ。たぶんその国の学生さんが作ったのであろう、その味はなかなかのもの。

いびつな形の大きなピロシキはきっとその人のお母さんの味なんだろうと想像しながら

ほおばった。

そして、フリマでは、私なりに掘り出し物をゲット。三女ユリ氏が素敵なピンクのバービーちゃん

のバッグを手に取った横で私は茶色のミュールを発見。サイズもピッタリ。値段も200円と

きた。バッグは千円とお店の人が言うのを聞いて悩むユリ氏。すかさず「じゃあ、このミュール

つけて千円ってことで…」と私が言うと、お店の人が「いいですよ~ん」 「はい!買った!!」

こういう時状況が全く読めないのがユリ氏で、「えっ?なになに?」といつもながら

困惑気味。こんなとき状況をすばやく察知して、一部始終をうまく説明できる三女レイがいたら、

助かるんだけど。「だからね、そのカバンは800円になったってこと。」

しばらくして、「おかあさんっ!!もしかして値切った?」  悪いのか?値切って悪いのか?

さすがオバタリアン!とでもいいたいのか?  「あのね、フリマはね、値段交渉は当たり前。

その駆け引きが楽しいやろ。それより、アンタそのカバンめちゃくちゃかわいいやん。

よかったね」と言うと、ようやく「そっそっそうやろ。学校に持っていこうっと」と自分のものに

なったバッグを抱きしめるユリ氏。このあと、このバッグが妙なところで大活躍することに。

フリマは、いろんな国の学生が出店していて、国際色豊か。そんななか、タイのお店で

見つけたその名も「タイパンツ」 タイの民族衣装とでも言うべきこのパンツ、はじめて見て

そのデザインとはきごこちに一目惚れして、迷わず購入。若い人の間では結構知られている

らしい。次の日、早速仕事に来ていったら職場の若い男の子に「おっ!タイパンツじゃない

ですかあ。かわいいですねえ」と言われたりして、(ほーやっぱりね)と納得した。

一休みついでに、バンドの演奏でも聴くか、とあまり期待せずに登場を待っていた。そこへ

ガチャピンの着ぐるみを着て登場した四人組の女の子。「コピーバンドとしてライブで活動

してます」というMCを聞いて、がっかりしかかったら、演奏を聴いて、驚いた。

「なかなかやるなあ」とユリ氏。派手さはないけど、演奏も歌もしっかりしていて、何より

その真面目さが気に入った。11月1日、パルコ前でライブをやるそうなので、ぜひご覧あれ。

お腹が空いたので、再び屋台を物色していたら、二人組みの男女が近付いてきた。

「あのーちょっといいですか?」とカバンからなにやら取り出した。

(やっべ。なんか売りつけられるのか。それとも怪しげな勧誘かなんかだな)

と思って身構えたら、取り出したのは、かの「シティ情報おおいた」

「あのーこの中のおしゃれさんコーナーに載せる人を探してるんですけど、良かったら

写真いいですか?」 (そういうことか。ユリ氏がおしゃれさんねえ)

「えっえっ。」とまたもや状況がはっきりとはつかめないまま、人ごみから連れ出されるユリ氏。

「今日の髪型最悪ってさっき気にしてたやろ。それにこの風でいっそうひどいことになってる

のに。いいのか?いいのかあ?」と叫んだけど、すでにユリ氏サングラスを取り出して、

もうポーズまでつけてる。そして、「今日のファッションのポイントは?」と聞かれて

「このバッグです」と答えてる。「お値段は?」 「さっきそこのフリマで買いました。800円です」

もしかすると来月号に載るかもしれないので、ご覧あれ。

二日目の学園祭へは、ホストファミリーの会合があって、ダンナとでかけた。

そこで知り合った韓国の学生さん。あだ名がアイコちゃんというその女の子と、初対面ながら

すっかり意気投合して、会話も弾んだ。「私日本人の彼氏が欲しいです」と流暢な日本語。

「韓国の男の人の方が優しいでしょ」と言うと、「まあ、韓国人でもいいんですけど。」

そこでダンナが「要するにオトコが欲しいんだよね。オトコが」と爆弾発言。にもかかわらず

超陽気なアイコちゃんは、「そうです!オトコがほしいんですっ!」と大声で絶叫。

その声はカフェテリアに響きわたっていた。隣では真面目なホストファミリーの方々が

外国の学生さんたちと真面目な会話をしていたようだが、一瞬氷ついたかのように見えたのは、

私の錯覚だったのだろうか。

その後も会話は弾みまくって、最後はケイタイの番号を交換し、記念撮影もして別れた。

近いうち我が家に遊びにきてくれるらしい。

こうして、大袈裟かもしれないけど、うれしい出会いがたくさんあった楽しい終末。

来週はタイの学生さんが二人、一泊のホームステイに見える予定。不安もあるけど、いい

出会いになるかなと、超楽しみ。さりげなくタイパンツ穿いて、お出迎えしよう。
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by morinotomosibi07 | 2008-10-28 21:55 | 世の中のこと  

おくりびと

伯母が入院先の病院で亡くなったのは、月曜日で、本来なら水曜日が葬儀の運びと

なるところ、その日は「友引」とやらで、葬儀ができないらしく、従って木曜日が葬儀、本通夜が

水曜日となった。(家に帰りたい)と入院中言い続けていた伯母の願いがこんなふうに

叶うのは、悲しいことだけど、二日間伯母は自宅で過ごすことができたのだ。

通夜の準備が始まると言うので、伯母の家に向かったところ、それは納棺の儀式ということで、

最初は軽く考えていた。遺体を棺おけに移すのだな、と。

それが違った。やってきたのは、若いお姉さんとイケメンのお兄さん。

蝶ネクタイに白のYシャツ。黒のギャルソンエプロンに身を包んだお兄さんは、後にこれが

いわゆる「納棺師」と呼ばれている人なのだとわかった。

大きなバスタブにベッドが乗ったものが部屋に運び込まれ、お風呂場からホースでお湯を

ひいてきて、準備が整うと、「それでは旅立ちのお支度をさせていただきます。どうぞ

お傍で最後のご様子をご覧いただいて、ゆっくりお別れのための心の準備をしてください」

確かそのようなことを納棺師の方が述べられた。

ここでようやく今から何が始まろうとしているのかがわかった次第で、一同驚いて顔を

見合わせた。こういう場に立ち会うことを誰も経験したことがなく、おっかなびっくりな雰囲気

のなか、ゆっくりと伯母が運ばれてきた。体は大きなバスタオルでくるまれていて、

顔しか見えない。一同ややほっとする。納棺師の方がバスタオルの中に手を差し入れ、

丁寧に伯母の体を隅々まで洗っていく。伯母はまるで気持ちよさそうに眠っているようだ。

髪もきれいにシャンプーし、リンスまでしている。かみそりで顔をきれいに剃って、丁寧に

ふきあげる。ドライヤーで優しく髪をかわかすと、伯母のシルバーグレイの髪がつやつやに

蘇った。生前は超がつくほど、几帳面で綺麗好きだった伯母だから、さぞうれしいに

違いない。ほんとに失礼ながら、最初は遺体に触れる仕事って、想像がつかなかった。

もっとはっきり言うと、どうしてそんな仕事を選んだのか不思議だった。

でも、粛々と進むこの旅立ちの儀式のなかで、その空間は張り詰めた空気からやがて

厳粛ななかにもやすらぎに似た雰囲気へと変わり、そのうち人の死というものを静かに

受け入れていくという気持ちへと変わっていくことに気付いた。

もし、自分のもっと近い人だったらそう冷静ではいられないだろうけど、死というものが

やがて誰にも訪れ、こうして愛する人たちに見守られながら、誰しも生涯を終えていくということ

の覚悟ができたような気がした。

まるで眠っているかのような安らかな伯母だけど、確かにもう息はしていない。息はしていない

けれど、もう口を開く事もないけれど、生きている人と同じように、そこに横たわり、眠ってる。

生と死のこの狭間をこんなふうに、マジマジと感じることで、死んだ人を生きている人と

同じように大切に思えたことは、私にははっきり言って驚きだった。

それはこの儀式のおかげ、納棺師という方の仕事のおかげと、私は、最初に感じた偏った

物の見方を恥じ入った。ほんとに尊いお仕事なんだと思った。

最後にきれいな衣装に身を包み、お化粧をほどこされた顔は、生前の伯母の顔そのままで

思わず「おばちゃんや…」  母も「姉ちゃん…」と言っていた。 それまで気丈にふるまって

いた従兄弟のおねえちゃんたちも「おかあちゃん」と傍に駆け寄った。

伯母ちゃん、最後に会えてよかった。どうぞ安らかにお眠りください。
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by morinotomosibi07 | 2008-10-26 21:03 | 世の中のこと  

兵庫の旅

母方の伯母が亡くなったという知らせが入り、急いで実家へ向かったのは火曜日。

昨日無事葬儀を終え、慌しくその夜の新幹線で帰ってきた。

いちいち心にひっかかって、というか、興味の矛先が定まっているようで、いないようで、

要するに、なんでもツッコミを入れたくなるこの性分のせいか、目の前で起こるいろんな

ことに一喜一憂してしまって、なんとも中身の濃いこの何日間だった。

同じように時間が過ぎているのに、日常とはまるでかけ離れたようなこの時間と空間は

亡くなった人を天国へと見送るために必要なものなのだろう。これがきっと目には見えない

けど、この世と天国の境目、ふたつを結ぶ不思議な時間と空間、そんなふうに思った。

従兄弟の子供でまだやっと3歳になる男の子が、一週間前、おもちゃのケイタイで

3年前に亡くなった自分の祖父、つまり今回亡くなった伯母の弟と話をしたらしい。

「おじいちゃんがね、黒いカバンを忘れたから探しに行くって。黒いカバンを持った人がいっぱい

いるところに」

この話をお通夜にみんなで集まって聞いていたら、ある人が「それはもしかしたら、今日の

ことかもしれない。だってみんな黒いカバン持ってるし」と言った。「伯母のことを迎えに行く

って言いたかったのかな」と従兄弟が言った。その日の夜、その子はまたケイタイで祖父と

話をしたらしい。「今ね、おじいちゃんはね、おばちゃんとね、青いお空の公園でね、ブランコ

に乗ってるんだって」 その子は祖父が亡くなってから生まれたから、もちろん面識はないし、

伯母も長い間闘病生活だったので、会ったこともない。しかも今まで祖父のことなど口にした

こともないし、伯母が今回亡くなったことも通夜の様子のことも全く知らない。家で話をした

こともない。と従兄弟が説明するのを聞いて、「ん?」と思った。伯母の祭壇は、ブルーの天幕

が張ってあり、遺影に映る伯母のバックには青い空とコスモスが。

そうだ。これは伯母とその子の祖父、つまり姉弟が二人で公園で遊んでいる姿。

先に死んだ弟が姉を迎えに来て、二人は今小さいころのように、天国で遊んでいるのかな

と、一同そんなふうにこの出来事を受け止めた。

やっぱりこの場所はふたつの世界を結ぶ不思議な所なんだと思いながら、どこにふたつを

つなぐ階段があるのだろうと、あまりキョロキョロは出来ないので、目だけキョロキョロ

動かした。いつか私もその階段を登っていくのだなと、歳のせいかわりとリアルに自分の

葬儀を思い浮かべた。

私の母はこれで最初の家族を全て失ってしまった。私を含めた3人の子供と孫が10人。

父と二人暮しとはいえ、母なりに楽しい余生を過ごしているせいか、想像していたほど

自分の姉の死に落胆はしなかったと言う。「あの人も苦労したけど、自分の思うように

生きてきた人だから幸せだったと思う」と、自分を貫き通した伯母の生き方を羨ましそうに言う母

に、(あなたも十分自分を貫いている)と思った。いつか母が生涯を終えるとき、私は自分の

想像以上に落ち込むとは思うが、「あの人は幸せだった」と見送れるように、母自身が

「私は幸せだった」と思って、階段を登っていけるように、その時まで家族として母を見つめ

続けようと思う。(きっと私の天然ぶりはこの人からの遺伝や)と思えるくらい、

この何日間の間に色々とやらかしてくれた元気な母。私の弟には半ば呆れ顔で

「おかん、笑いの引き出しありすぎやろ」と言われていたが、それが一番母らしい所なんだと

改めて思った。自分にも他人にも厳しかったけれど、ようやくその鎧を脱いで、本来の自分を

取り戻し、自分の人生を歩いている母が、今は昔より身近に感じられる。もう少し元気でいて

ほしい。葬儀の間中、母とうりふたつの伯母の顔を眺めながら、伯母には失礼なんだけど、

そんなふうに母のことばかり考えてしまった。

見た事はないが、今話題の「おくりびと」という映画で「納棺師」の仕事が描かれているらしい。

この仕事を、実はマジマジと見る事ができた。というか、見なくてはならなかった。

この話はまた次回に。
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by morinotomosibi07 | 2008-10-24 12:23 | 自分のこと  

宮崎の旅

木曜から出張で宮崎へ行ってきた。お供は若いお姉さん。二泊三日の旅の寝床は、お姉さんが

私の要望どおりの宿をチョイスしてくれて、最適、快適。小さなビジネスホテルだけど、行き届い

たサービスは大袈裟すぎず、安っぽくもなく、なんか家庭的。仕事を終えて戻ったときは、

家に帰り着いたような気にさせてくれた。朝起きたときは、しばらくホテルということに気がつかな

かった。お姉さんも「私もです~」 一階には、ちょうどいい大きさの温泉もあって

女性客は私達だけだったようで、貸切状態。サウナもあって言う事ないじゃん。

飲食店も歩いてすぐのところにたくさん。「今晩はさあ、居酒屋で夕飯しようか」とお姉さんに

言うと、「いいですね~」と意気投合。

二日目は「今日はイタリアンなんかどうかい?」と言うと、目をキラキラさせて、

「さっきいいところありましたよねえ」とまた意気投合。お姉さんとは普段から何かと

意気投合するので、今回は仕事というより旅行気分で楽しかったな。

今日は帰りに観光して帰ろうということで、色々考えた結果、「青島」へ。

ここが想像以上にいいところで驚いた。ホテルやなんかは、かつてここが新婚旅行の

メッカとしてにぎわったところとは思えないような衰退ぶりなんだけど、サーファーたちで

にぎわう海の景色は初めて見る光景。ものすごい波が次々押し寄せる果てしない海の姿に

「すごい、すごい」とただ口走るばかり。有名な鬼の洗濯岩と呼ばれる奇妙な岩に

思わず「これはどうしたこと?」と二人で駆け寄り、「謎やな」と自然のなせる業にしばし絶句。

「ここに来てよかったね」とこれまた意気投合。二人ともカメラを忘れてしまったところまで

意気投合。私はケイタイまでが充電切れ。お姉さんは「うまく撮れませ~ん」と必死で

ケイタイのカメラで撮影。

マンゴーばかり宣伝しないで、ここがこんなにいいとこだって、知事さんもっと宣伝すれば

いいのに。その知事さんをひとめ見ようと、昨日県庁に行ったんだけど、「ああ、さっき東京に

向けて出発されました」とガードマンの方が誇らしげに言った。 聞いてはいたけど、観光バスが

たくさん止まっていて、ほんとに人気があるんだ。なんでだろうって思ったけど、自分も

その人気ぶりにちゃっかりに乗ってるじゃないか。さすがに知事のグッズはちょっとダサクて

買わなかったけど。


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by morinotomosibi07 | 2008-10-18 22:02 | 自分のこと  

仲間

私が子供のころ、もうそろそろ四半世紀前にもなる頃。どこの家の親も忙しかった。

今も忙しいことには変わりないのだけど、今は子供までが忙しいのか。

昔は、忙しい親にかまってもらえない子供達は、こぞって夕飯近くまで外で遊びほうけた。

私の遊び友達は、物心ついた時すでにたくさんいた。

お向かいのチカちゃんとあっちゃんは、お母さんが病弱でそのせいかお父さんは心配性で

あまり二人を外で遊ばせなかった。だから、時々お母さんの具合がいい時、私と妹はお向かい

のおうちに呼ばれて二人と遊んだ。薄暗い部屋の奥からやせ細ったお母さんが出てきたとき

はちょっと怖かった。イスに座って私達が遊ぶ様子をうれしそうに眺めていた。調子に乗って大

きな声を出しすぎるとお父さんに叱られた。

だから遊びに行くのがだんだんと億劫になった。姉のチカちゃんはもうとっくにお嫁に行った

ことは聞いたけど、お母さんによく似ていたあっちゃんは、お母さんが最近亡くなるまで

ずっと傍にいたらしい。あの薄暗い家は、今はマンションになり、その一室であっちゃんは

暮らしているという。「とても優しい、いい娘やわ」と母が言っていた。

今もし会うことがあったら、「あっちゃん、えらかったね」って言ってあげたいな。

道路をはさんで二軒先のカヨちゃんとヤエちゃん。キューピー人形のようなヤエちゃんを

カヨちゃんは「あんたはお母ちゃんに似てかわいいからいいよな。ウチなんかお父ちゃん似で

いやや」といつもぼやいていた。「ウチがお父ちゃん似やから、お母ちゃんはウチのことが

キライなんや」とカヨちゃんは自信満々で言っていた。「そんなことないよ。」と私達が笑っても。

カヨちゃんの言ってたことがホントだったのか、その後ご両親は離婚して、お母さんは

ヤエちゃんだけ連れて家を出て行った。自暴自棄気味のお父さんの言う事や疲れ果てた

ようなおばあちゃんの言う事をよく聞いて、カヨちゃんはおうちのお手伝いをよくしていた。

いつも遊ぶメンバーからヤエちゃんがいなくなったことの衝撃は大きかったが、だれも

そのことに触れなかった。でも、一度だけみんなでヤエちゃんの新しいおうちを訪ねていった

ことがある。そこは、たしか母子寮のようなところだった。カヨちゃんは、お母さんには

言わなかったけど、ヤエちゃんに「いっしょに帰ろう」と言った。ヤエちゃんは、まだ小さいのに

「帰りたいけどお母さんがかわいそう」と言って泣いていた。

カヨちゃんちの裏に住むサトミちゃんとミワコちゃん。元気いっぱいのミワコちゃんと違って

サトミちゃんは大人しくて引っ込み思案。今でいう不登校で学校へはほんのたまにしか

行ってなかった。私達が学校から帰るととたんに元気になって、一緒に外で遊んだ。

中学校の途中で東京へ引っ越してしまって、ずっと会えなかったけど、お互い二十歳を

過ぎた頃東京で再会したときには、サトミちゃんは保育士になっていた。その後結婚も

して、子供もでき、今も保育士の仕事を続けているという。

サトミちゃんの家のちょっと先に住むカズコちゃん。いつも怒ったような怖い顔をしていたので

よくみんなでからかった。よけいに怒る顔を見たくて。ごめんね、カズコちゃん。

でもほんとは心の優しい女の子で、自分のお菓子をよくみんなに気前よく分けてくれた。

カズコちゃんのお母さんもいつも怖い顔をしていたけど、私の母は「あの人はほんとは優しい

んよ」と言っていた。

みんなの憧れ。スズコちゃんはちょっと離れたところに住んでいた。名前からして憧れる。

あだ名はスーちゃん。勉強もスポーツもよくできて、美人で、何より珍しい遊びを考えるのは

いつもスーちゃんだった。たしか、シャボン玉を自分達でつくろうと言い出して、家から石鹸を

持ってくるように言われたことがあった。スーちゃんがその石鹸をきれいに削る様子をうっとり

眺めていた。「今日は削るところまでね」と言ってスーちゃんは、削った石鹸をビンにいれた。

あたりはものすごくいい香りがしていた。それが宝物のように見えて、欲しくて欲しくて仕方なか

った。家に帰って真似してみたけど、ちっとも上手に削れなかった。スーちゃんは銀行に勤める

OLさんになった。「計算が速いのよ」とお母さんがよく自慢していた。お漬物やさんで働いて

いたお母さんのことをスーちゃんは、「いつかお母さんに楽させたい」と大人みたいなことを

言っていた。

おっとりしたナルミちゃんは、とにかく勉強家。遊ぼうと誘いに行くと洋裁の仕事をしていた

お母さんの向こうで、いつも勉強していた。「ナルちゃんは勉強だから」とお母さんに

追い返されたけど、めげずに毎日誘いに行った。そのうち「あんたちも勉強しなさい」と

ナルちゃんのお母さんに言われナルちゃんとならんで勉強するのが、ちょっとうれしかった。

ナルちゃんのお兄ちゃんのヨシ坊も頭が良くて、時々勉強を教えてくれた。私はいつかヨシ坊

のお嫁さんになると決めていた。ナルちゃんもヨシ坊も大学の薬学部を卒業し、薬剤師に

なったらしい。

どこの家の大人たちも忙しそうで、なんだかいつも怒っているように私には思えた。

そして、いつも疲れはてているように見えた。それは自分の今の姿とどこか重なるところが

あることに気付いて、(いやだー)と思う。

そんなメンバーといつごろまでキャーキャーと遊んでいたのだろう。一人一人が何か不安を

抱えながらも、毎日おでこをくっつけあって遊んだあの頃。いやなことがあっても、メンバーの

顔を見ると安心したこと。そこらじゅうを駆け回り、きっとおバカなことばかりして遊んで

いたのだろうけど、そうやって押しつぶされそうな小さな心を必死に守っていたのだろう。

自分達の身の上に今後やってくる目に見えない何かに対する恐怖や、とてもいいことが起こり

そうなわずかな期待や、いろんな物がつまった小さな心を抱えて、いつも寄り添って遊んだ

仲間達。そう、あれは確かに仲間達だったなと思う。つらい時に笑わせてくれたのは

あの仲間達だったなと。あれが最初の仲間だったなと。物心ついたときから、いままで、たくさん

の仲間に囲まれて生きてきたことのこの事実の前に、人間が生きていくには仲間が必要だとい

うことが自分が大人になって知りえたことのなかで一番大切なことだと思う。

これからもどんな仲間が増えるのか、また増やす努力をしなければと思う。
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by morinotomosibi07 | 2008-10-14 11:10 | 友達のこと  

スポーツの秋

ついにやりました。長男ケイさんの母校の野球部が何十年ぶりで九州大会への出場権を

実力で勝ち取った。前回出たのは開催が大分ということもあって出場できたのだが、

今回は堂々の準優勝。恥ずかしながら、いまだに野球ママの私は、まずは準決勝戦の

応援に次女エリさんと駆けつけた。夏の甲子園予選ならいざ知らず、秋の地区予選に

も関わらず、バックネット裏は超満員。へえ~驚いたねえ。なんとか空席を見つけて

座ると、試合はすでに始まっていて、グランドにはなつかしい白のユニフォーム。

ケイさんがいないのは先刻承知だけど、思わず似た感じの子を探す自分がおかしかった。

これも母性のなせる業か。本能ってやつだな。ケイさんの学校の方が初回に1点を取ったまま

試合は1対0の投手戦。コントロール抜群のピッチャーのA君のことはあまり知らないけど

キャッチャーのk君はケイさんがかわいがってたあの子だ。前に見たときより身長が随分

伸びていた。正捕手としても立派にやってるようだ。さっそくケイさんにメールを送って

後輩たちの勇姿を伝えた。「Kによろしく伝えてくれ」と返ってきた。それより私はK君に

ケイさんのユニフォームを返してほしいと伝えるつもりだ。

試合は延長にもつれ込み、最後はヒットで出た走者をK君がバントで送り、サヨナラの場面に

つなげた。K君いい仕事するやね。ケイさん喜ぶだろうな。

次の日ももちろん、野球ママの私は、今度は次女エリさんに加え、三女ユリ氏と末っ子

ミーコも連れて、応援に駆けつけた。それから、同じく野球ママの友達2人とも待ち合わせを

して。ママたちとは、あの真夜中のシンデレラ事件以来の再会だ。応援席でお互いの姿を

見つけ、3人で手を取り合ってグルグルまわって再会を喜ぶ私達を、冷ややかな目で見て

いる子供達を視界の隅に確認しながら。私達は(そんなにくっつくか?)と思うくらい、

3人でピッタリくっついて座り、その後は試合を観戦しながら、話は当然お互いの息子たちの

こと。これも当然のことながら、当時の野球部での出来事。そう、また同じ事を話しながら

涙ぐむというお決まりのパターン。

試合の方は、5対2と負けてしまったけれど、相手は甲子園出場の強豪チーム。

2点も取れたのが立派じゃないか。「いやあ、いい試合やったよねえ」と後ろにいるエリさんたち

に言うと、「おかあさんたち、ちっとも試合見てなかったやろ」と言われてしまった。

「み、み、見てたわよ!」と言ったものの、エリさんこそ、よく私達のこと見てたわねえ。

まあ、この決勝戦は勝ち負けに関係なく、両校ともすでに九州大会行きは決まってるので

安心していられたのだけど。

なにもかもがあのときのまま。ただあの大好きな白のユニフォームを着て戦ってるのは

息子たちの後輩たち。でもこれからもずっとずっといつまでもあのときのまま。

白球を追う少年の姿も、その姿を追う私達も。ずっとずっとあのときのまま。

だからこれからも、少年たちを見にきっとグランドに行こうと思う。

私が「ねえ、あと一回だけでいいから、息子たちの野球してる姿見てみたいね」って言ったら

「でもケイちゃん、ユニフォームあげてしまったんやろ。どうする?」とママ友が言った。

「うん、だから、今日K君に返して!って言いに行く!」って言ったら、「そうしよ、そうしよ」

と口を揃えてママ友が言った。結局言えなかったから、今度試合の応援に行ったときに

必ず言おうと思う。「ケイさんがよろしくって言ってたよ」って伝える時に。

悲しい秋ばかりじゃなかった。
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by morinotomosibi07 | 2008-10-13 12:14 | 長男ケイさんのこと  

悲しい秋

ついこの前、夏休みが終わったと思っていたら、9月はあっという間に過ぎ、

10月も半ば。今年は我が家は秋に運動会はひとつもなかったので良かったけど、

こんなめまぐるしさにそれらが加わっていたら、今頃どうなっていたことか。

忙しさからか疲れからか、また持病のめまいが少し復活して、まずはお風呂でのシャンプー

のとき、うつむくときにややグラッとくるので、(ん?地震?)と勘違い。お風呂に入ってるときに

地震があったらどうしようかというのは、以前から、というより、いつもお風呂に入りながら

気になるところ。一応あの阪神大震災を経験しているとはいえ、あのような状況が再び

起こったら、パニックになるのは目にみえている。それが入浴中だったら、どうする。

それもシャンプー中だったら。とにかくシャンプーを洗い流さなければ、と必死だろうけど

すごい揺れのなかでは無理だろう。それより一刻も早く子供達のところへ行かねば。

そのあとどうする?泡だらけの頭はこの際、湯船のなかのお湯で洗い流すか。

ウチは温泉なので、お湯はいつも湯船にあふれているが、泉質が髪を洗い流すのには

向いてなくて、髪が乾くとゴワゴワに固まってしまう。でもそんなことは言ってられない。

ゴワゴワだろうが、泡がついたままよりいい。なんてなことを考えながら、いつもシャンプー

している。この前めまいがした時は、頭がフラフラになりながら、そんなことが瞬時に頭に

浮かんだ。しばらくしてめまいが治まって(ああ、めまいか)と安心したけど、またあの

気持ちの悪い状態が続くのかと思うと少し憂鬱。フトンに横になっても、頭を動かすたびに

フラ~。しばらく続くようなら、病院にいかなきゃな、と思っていたけど、少しづつ良くなって

きたので、病院は見合わせた。あの耳鼻科のイケメンのおもしろいドクターにまた会って

みたい気はしたけど。坂東英二なみの大きい声で「いやあ、久しぶり~今日はどないしはり

ました~?」と必ずこう言う、紫色のジャージの上下を着たあのドクターに。

そんな状態ながらも、あれは5日の日曜日、アナを送り出した日の夜、かねてから楽しみにして

いた「小雪さん」のお芝居を見にでかけた。ダンナとイケメンお兄さんとその彼女の四人で。

現代社会の問題を色々描きだし、観る者にメッセージをなんとか伝えようとするその芝居は

脚本家のかたはじめ、若い役者さんたちのものすごいパワーみなぎる演技によって、

かなりの衝撃的なものだった。表現が抽象的なところが多くて、単純な私には、どこか

もどかしく感じるところもあったのだけど、その分自分なりに考えなくてはならないので

それもこの芝居の魅力かな、と前回もそう思ったけど、今回強く思った。ダンナは鋭く

芝居の感想を述べていて、それを聞くと(なるほどね)と思い、自分の感じたことも

整理されていった。なんのことについて演じたのかを話すととても長くなるので、

またの機会に。というより、小雪さんと会って今回の芝居のことをきちんとお話してからに

したいと思うので。イケメンお兄さんとその彼女にも、ぜひ感想を聞いてみたい。

アメリカ経済が大きく崩れ、世界中にその影響が出始めるなか、それでなくとも先行きの

見えない今の暮らしのなかで、まじめに社会のことを考えようとする若者達がたくさんいる

と思うことで少し勇気がわいてくる。

生きていくのに精一杯のこの混沌とした時代が、どのような形で終末を迎え、そして再生

されていくのか、わかるようでわからない。不安ばかりが先走るけど、どうか、真面目に

働き、生きてきた人々が救われるような国であってほしい。

そんな当たり前のことを一生懸命考えてくれる政治家は、一体どこにいるのだろう。

テレビのなかのあの方は、一体誰のことを考えて質問に答えているのだろう。

やけに足早に過ぎ行く秋は、それも人の心を置き去りにする足早な時代のせいかなと

思えて悲しくなる。せめて、深まりゆく秋を感じる心だけは失わないようにしようと、その

ぐらいのことしか言えない自分にも悲しくなる。

やっぱ、秋はもの悲しい。
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by morinotomosibi07 | 2008-10-13 11:22 | 世の中のこと  

エリさんのご帰還

ポルトガルからのお客様のアナと入れ替わるように、我が家の次女エリさんが

おとといの月曜日無事日本に帰ってきた。その日は大阪に泊まって、翌朝一番の新幹線で

帰るからと、久々に聞く電話の向こうのエリさんの声に(ほんとにフィジーまで行ってきたんだ)

とようやく実感やらがわいてきた。とりあえず「どうやった?」と聞くと、「いやあ、良かった。

みんな親切でいい人ばっかやった」  それが聞けただけで充分だったけど、聞きたいことが

山ほどあって、次々と質問する私に「ここネットカフェやから、あんまり話せんのや」とエリ。

ビデオ店での火災のことが頭をよぎって、再び不安になった。「火事だけには気をつけて。

できれば眠らんように!!」とだけ言った。帰ってからエリさんに聞いたら、ネットカフェを

探してウロウロしていたら、案内するふりをして近付いてきた人に、危うくどこかに連れ込まれ

そうになったとか。ほーら、言わんこっちゃない。「フィジーの生活があんまりのんびりしてて、

いい人たちばっかりやったから、日本人もいい人ばっかりやと思ったんや」とのこと。

あまりに悲しく情けない話。日本の方が恐ろしいなんて。

わずか一週間ほどの滞在でも、エリさんのカルチャーショックは相当なもので、話を聞いている

私たちも目からウロコ的な思いをした。私たちは毎日なんのために生きてるの?人生楽しんで

るかい?ぐらいのことを考えさせられた。

フィジーには、フィジー人とインド人が暮らしていて、当然文化や生活習慣は全く違うらしい。

エリさんは今回フィジー人のお宅にステイさせていただいた。そこのおうちのお父さんは

もっか、日本語を勉強中だそうで、時々日本語が飛び出すらしい。夕飯を待っていると

「エリさああん、おまたせいたしました」と呼びにきてくれたり、食事中にいきなり

「わたしのなまえはジョンです」と自己紹介したり。(えっそれ最初に聞いたやん。単に

日本語がしゃべってみたいだけ?)と思ったという。

それから、教会に行ってお祈りしたあと、「エリはだれにお祈りしたの?」と聞かれ、

クリスチャンじゃないから神様でもないし、他に宗教もないし、と思って答えに窮していると

「そんなときは、平和に祈りなさい。どんな宗教の神様も戦争をしてはいけないと説いている。

だから、平和の神様にどうか戦争が起こりませんようにと祈りなさい」と教えられたらしい。

それから、フィジーには、「ケレケレ」という「全てのものはみんなで分け合おう」という考え方

があるらしい。だから、道を歩いていても「寄っていってお茶飲んでいきよ」とあちこちから

声がかかったり、「何を食べてるの?」と聞いたら、「食べよ」と言ってスッと半分くれたりだとか。

全くの他人だとしても。まして異国から来たエリに対しても。

自家用車やタクシーにも通りがかりの見知らぬ人が「ちょっと乗せてもらうよ」みたいな

感じでどんどん乗りこんでくるらしい。

家から一歩出ると、いろんな人が「どこから来たの?いつまでいるの?」と次々と声を

かけてくれ、「一週間だけいる」と答えると、「短かっ!!」と残念がったり、「どこへ行くの?」

と聞くので「学校」と答えると、「がんばって勉強するんだよ」と励ましてくれたりだとか。

これって、もしかして日本の昔昔の姿かなと思った。

暖かいおもてなしと人柄と美しい自然に触れて帰ってきたエリさんは、今日から大学の

後期の授業に出かけた。ますます英語の勉強にも力がはいるだろうし、何より、国や言葉を

超えて人の優しさに出会えたことは、自分の成長にきっとつながるはず。今までも充分

心優しいエリさんだけど、もっともっと人の心がわかる人になってくれるだろうと、

期待を寄せて、今回大きなチャレンジをしたエリさんを眺めた。

(あのエリがねえ)とまだなんとなくピンとはこないんだけど。
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by morinotomosibi07 | 2008-10-09 14:35 | 次女エリのこと  

さよなら、アナ

とっても感動したコンサートに気分も上々で、(さっ帰って軽くなんか食べて早々に寝よう!)

とアナと子供たちを車に乗せたまでは良かった。ダンナは来てないけど、ユリ氏がいるし、

帰りの車の中はきっと音楽の話で盛り上がるだろうし。一日目の夕飯のとき、「私は、ビートルズ

が好き」とアナに言ったら、フンフンと大きく頷いてくれたので、「ビートルズはやっぱ世界的

だな」と気を良くした私は、「イエスタディ知ってる?」と聞いてみた。するとアナはちょっと

首をかしげた。「知ってる」?って聞いたつもりが単に「イエスタディ?」と言っただけだったので

アナにしてみれば(昨日?それがどうした?)と思ったに違いない。ここはひとつ

歌わなくてはと思い、「イエスタディ~♪」と歌ってみせた。これが思いのほかうけたもんだから

何回も歌ったら、ダンナに「バカだねえ~♪」と返された。

だから、この夜も音楽の話をしながら帰ろうと思った。アナの想像を超える

披露ぶりが気にはなったけど。

キーを差し込んで初めて異常事態に気がついた。(まさか…)

そう、バッテリー完全にあがってる。そうライトつけっぱなしだったのだ。

知り合いはもうとっくに帰った様子。そこで頭に浮かんだのは、イケメンのお兄さん。

確か近くに住んでるはず。思い切って電話したみたら、二つ返事で来てくれることに。

ここぞという時にお世話になるのは、これで何回目だろう。さっそうと車で現れていとも簡単に

治してくれた。「ママいい?帰るまで絶対エンジン切らんので。何があってもで。たとえば

コンビニ寄るとしてもエンジンはつけっぱなし。わかる?わかるよね」 「わかるよ。切ったら

いけんのやね。」 「絶対にね。ママいい?聞いてる?」 「聞いてますとも。」

「なんか心配やなあ。」 ちょっとしつこいけど、なんて優しいイケメン兄さん。私はこの時

決めた。この人を息子だと思うことに。ケイさんにお兄ちゃんができた。

お兄ちゃんが駆けつけてくれたときに、アナのことはポルトガルから来てるとは軽く紹介したんだ

けど帰り際、お兄ちゃんは「ママ。あの子は今日どこに泊まるの?」と聞くので「ウチよ」

と言うと「え~っ」と言って驚いていた。「ど、ど、どういう知り合い?」 事情を説明すると

「へ~。ママ大変そうやな。じゃがんばって!」と言って帰っていった。なぜか(ごはんしっかり

食べるのよ)と声をかけそうになったけど、しっかりしないといけないのは私の方だ。

車の中でぐったりしているアナに何度も何度も「アイム ソーリー」を繰り返した。アナがしきりに

なにか言うので「きっと『あなたのせいじゃないよ。気にしないで』と言ってるんだ」と、子供達に

言ったら、「あんたのせいに決まってるやろ!!」と言われてしまった。その後もアナに

「ソーリー、ソーリー」を繰り返した。「おかあさん、アナ寝てるから静かに!!」と言われて

また「ソーリー、ソーリー」を繰り返した。昔女性の国会議員の人が小泉総理に「総理、総理」

と詰め寄った時の気持ちがよくわかった。まったくシチュエーションが違うけど。

アナはその夜、お風呂にも入らず眠ってしまった。アイム ソーリー。

最後の朝は早朝からアナを起こし、朝食を勧めた。すっかり身支度を整えたアナが

荷物と一緒に抱えてきたものは、たくさんのポルトガルのおみやげ。

マフラーやお菓子やペンやママが作ったというジャムとポプリや絵葉書。そして日本とそっくり

な独楽も。私もお返しにレターセットやハンカチやお箸やキャンドルをあげた。お箸は

裁縫が得意なチカちゃんに教えてもらって作ったお箸袋に入れて。

急に寂しさがこみ上げてきて、(ウルルン滞在記はウソじゃない)と思った。なんかしんみり

してしまったので、かわるがわるリビングに現れる子供たちに、いちいちアナからのおみやげの

説明をしながら、なんとかごまかした。アナは私に顔を近づけてその様子を聞いていた。

集合場所に着くと、もうすでに一行は集まっており、思い思いに別れを惜しんでいた。

アナはウチの愛犬チコを抱きしめ、「ポルトガルに連れて帰るの」と言いながらみんなに

見せていた。チコはみんなから可愛がってもらって得意気な様子。チコの方に意識が

行っていたぶん、アナとあんまり目をあわすことがなくて良かった。泣いてしまいそうな

自分に自分で引いていたから。いよいよバスに乗り込むとき、アナがちょっと寂しそうに

笑った。私は「あなたに会えて良かったけど、今寂しい」とがんばって言ったら、

ダンナが(よく言えたな)と言う目で私を見て頷いた。ダンナは「オブリガード」と言って

握手していた。アナはさしていた傘をたたんでダンナに渡し、黒いスカーフを頭に巻いた。

エキゾチックな顔の異国の少女のアナがそこにいて、もう二度と会えないのかなと思うと

せっかく笑った顔がゆがんでしまった。

バスの窓を開けて手を振る人たちの中にアナの姿はなかった。一生懸命探したけど

見つからなかった。(アナも泣いてるのかな。きっとそうや)と思うことにした。

いつかアナの住むコインブラの美しい街を訪れてみたい。
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by morinotomosibi07 | 2008-10-06 13:43 | 世の中のこと